大分県三重町には真名野長者伝説があります。
炭焼き小五郎伝説
炭焼き小五郎という貧しい炭焼きが
金亀が淵で金を見つけ
その淵の水で顔を洗った
都の久我大臣の娘の玉津姫は
顔の痣がなくなり
彼と結婚し綺麗な娘を生みました。
その娘は、その般若姫と名付けられました。
その娘は、世にもまれな美貌の持ち主で
名前を隠してこの地に来ていました。
若いころの用明天皇の子供を身ごもり
般若姫伝説
「男が生まれたなら都まで一緒に
もし女の子であったなら長者夫婦の後継ぎ
として残し一人で都に来なさい」
という言葉を残し、
用明天皇は、都に帰ってしまいました。
そして生まれたのが、玉絵姫です。
般若姫は、用明天皇の言いつけ通り
その後を追って
千名余りの一行で都に向かい
その途中に寄ったのが
大分の姫島
、姫島の名前の語源とも言われています。
その後、周防国田浦で暴風雨に遭遇し遭難
大畠で他界していまいます。
真名野長者伝説
大分の臼杵石仏も
真名の長者が般若姫を弔うために
建立したものだと言われています。
その般若姫の像が上の写真です。
下から見上げても、かなり大きな像です。
この公園には、金亀が淵もあります。
ここの淵の水で顔を洗えば
絶世の美女になれるかもしれません。
この公園は、春には桜の名所にもなっています。
先週行った時には
桜も少し散っていましたが
ここの桜は、非常にきれいです。
見ごろの頃は、上の国道に抜ける道は
桜のトンネルです。
この伝説は、どこまで
信憑性があるかはわかりませんが
用明天皇伝説
般若姫の娘の玉絵姫は
聖徳大子の異母兄弟という事になります。
という事は、玉絵姫は
用明天皇の御子という事になりますね。
いらしゃるという事になるのでしょうか?
用明天皇は
本当に三重町に来られたのでしょうか?
本当に用明天皇が
大分まで来られたのかは分かりませんが
用明天皇の創建されたと寺と言われています。
萬弘寺は
604年大伽藍を建てていますので
用明天皇とは
何かの関係があったかもしれません。