「民のかまどゆたけきものを、しらぬいのつくし生うてう野津原のさと」
勝海舟の残したもの
勝海舟は古市をこのように詠っています
民のかまど=仁徳天皇の逸話「民は富んだ、素晴らしい」
ゆたけし=ゆったりしている=盛大だ
しらぬいのつくし=不知火の筑紫
不知火は筑紫にかかる枕詞です
植物のつくしと筑紫を掛けている
と思います
意味は
野津原はのんびりしていて自然も多く、
民は栄えていて素晴らしく良いところだ
とでも訳すのでしょうか?
パソコンで調べても載っていませんで
したので、私の訳となりますので、
「ふ~ん」程度にお読みください
勝海舟・坂本龍馬歩んだ目的
の下関砲撃中止交渉の為、
幕府から長崎出張の命令をうけた
神戸を出帆します。
熊本~長崎に行く途中、2月17日に野津原に宿泊します。
その時に読んだ句です。
今市の昔
野津原の今市は昔、岡藩の宿場町として栄えたところです。
滝廉太郎の荒城の月で有名なのが岡藩です。
今市では、毎年9月に歴史道の記憶を
後世に伝えるため「今市石畳まつり」
というイベントが開催され
約1万本ちかくの竹灯篭を設置し
地元の「丸山神楽」が奉納され、
竹灯籠の灯りのなかで
幻想的な雰囲気を醸し出しています。
今市の今
びっくりしたのは、ここには、飲食店や
お土産屋さんが、1軒もないという事です。
大分の中でも人気スポットの湯布院とは
全く違う世界観を感じます。
石畳以外は当時を思い馳せるような
建物はなく、昔の街道の石畳沿いに
馬留屋、旅籠、薬屋、酒屋などが
立ち並んでいたという看板だけが、
寂しそうにありました。
昔を語るには、このような、石畳だけの
方がかえって良いかもしれません。
唯一、石畳の間に生えている小さな草や
苔だけが昔の古き栄えたた時代の空気
を伝えてくれています。
今は、この石畳が、大分県指定になっています。
この石畳の道幅は8m、
そのうちの2mが石畳となっています。
約全長660m分の石畳が往時のままで残されています。
車がゆっくりすれ違える広さですので
当時としては、かなりの広さだと思います。
残しておきたい今市
今市の石畳は、竹田や久住高原に行く
途中にありますが
この地区は山の中にあり、
目立った観光スポットもありません。
大分の人の中でも
この石畳の存在すら知らない人も
多いと思います。
観光化するのが、良い事か、悪い事かは、
是々非々あるでしょうが
私としては、もう少し、せめて、大分の人
には知ってもらいたいと思います。
多分、外国の方がいらしゃれば
この雰囲気に古き日本を感じて
頂けると思います。
妻籠や馬籠のように宿場町が
観光化していくのも寂しさを感じますが
こんなに歴史的な遺産が余り
知られていない事に対しての
寂しさも感じます。