大分市で大友氏屋敷跡が西暦2001年に
国の指定史跡に指定されました。
伝説大友屋敷
昔、大友氏の屋敷は伝説になっていて
自分(わたし)の小さいころは
上野の上原城跡が大友氏の居城
とされていました。
島津氏が府内に攻め込んで来て
焼野原になって、その後に大地震
があってその上に町が創られたので
分からなくなっていたのでしょうね。
大航海時代と大分
FUNAIといえばスペインの地図
にも載っていたくらいです。
1550年から1585年くらいが
南蛮貿易の花開いた時です。
丁度この頃スペインも
大航海時代を花開かせていました
を兼ねる事になります。
1550年の頃は大分には南蛮の風が
吹きまくっていたに違いありません。
ルイス・デ・アルメイダが1557年
日本で初めて外科手術のできる病院を
府内に建てました。
大分に現在もあるアルメイダ病院は
ルイス・デ・アルメイダを顕彰して
名前が付けられたそうです。
きっと、西洋音楽も府内の町に
奏でられていた事でしょう。
大分はその頃、堺に劣らない
国際貿易港だったと思います。
府内の衰退
大友宗麟によって栄えた府内(大分)も
大友宗麟によって衰退していきます。
1578年の耳川の戦いで島津軍に
敗北しそれからは衰退の道を歩みます。
この時大友宗麟は直接この戦闘には
参加しておらず、現在は延岡の北川
の無鹿(務志賀)で饗宴の座を
開いていたという事です。
息子や重臣に戦いをまかせ宗麟はもう
気持ちは引退していたのかもしれませんね。
まんが日本昔ばなし★★「瓜生島とえびすさま」&「おかめの面がケラケラ笑う」
沈んだ島瓜生島
その後大分に慶長の大地震が来ます。
1596年午後2時~4時頃府内の町に
大津波が来て町が崩壊状態となります。
この時に瓜生島という島が別府湾に
あってこの地震で沈んでしまった
伝説の島となっています。
この島があったという古文書は何点か
残っており、伝説から現実に変わるかも
知れませんね。
私も小さいころ父親から
自分(わたし)の先祖も瓜生島で
神主をしており、地震の時に対岸の
鶴崎に渡って来たという話をしていました。
つい最近までは半信半疑でしたが
年をとってくるとそんなことも
あったんだろうなと思えるように
なってきました。
子供にも、又、父が話してくれたように
口伝で我が家のルーツを話そうかなとも
思っております。
何となく、「沈んだ島の住民」だった
というフレーズに神秘的なロマンスを
感じてしまいます。
あと何年かして、この瓜生島の伝説も
大友宗麟の居住跡みたいに伝説が
現実になる日が来るのかもしれませんね。
別府市は外国人留学生比率全国NO1
開催されるようになりました。
1500年代に南蛮文化が花開き
国際都市であった大分には国際的な
催しものは500年ぶりになるかも
知れません。
今、別府市は、海外留学生の人口比率は
日本でNO1となっています。
日本であまり知られていない大分が
国際的にOITAとしてして認知されて
いけばと考えると何か楽しくなって
来るような気がします。